対人恐怖は、体が覚えているからの拒否反応?!
どうも楽々です(^^)/
楽々は、強度の対人恐怖症でした。
もう人がいる所に行くと考えると
その前日から
酷い時は、もっと前から頭でぐるぐると考えてしまい
人の前に行ってもいないのに、肩や首の神経が硬直しだし
もう恐怖から、息苦しい日々を送りました。
そりゃ生きるのが辛くて辛くしかたないですよね。
そんな苦しい日常が当たり前だったので
良くなるとも思っていませんでした。
諦めて、精神科から処方される魔法の薬に頼るしかないと
そう思っていました。
この過敏すぎたり、思考がぐるぐるまわる状態は
遺伝的なものだったり
その性格を受け入れて
その性格を世の中に適合させて活かすしかない
そんな結局は苦しい結論しか頭にありませんでした( ;∀;)
でも
本当に遺伝的なものだったりして
本当にそれを受け入れるしか術はないのでしょうか?
そう疑問を感じて
また色々と模索したのです。
だって
赤ん坊の頃から、人目を気にしてキョロキョロしてから
泣く子って見たことありますか??
楽々は、ありません。
みんな最初は好き勝手に泣くはずです。
それしか相手に自分の状態を表現する術をしらないからです。
ということは、
対人恐怖というものは
生まれた後に
何かが起こったのではないのでしょうか?
ある程度、大きく成長してからの事は記憶にあったりしますよね。
それもそれである程度の傷つき体験にはなるのですが
そこまで対したダメージではありません。癒す必要性はありますが。
だって
物凄く自分にとって存在が大きな人に
優しく包まれていて
いつも肯定されていて
安定した場所があれば
多少の事があっても、揺るぎない安定した心があるので
そんなに心に与える影響は無いに等しいですよね。
だから
同じような事をされたり
嫌な思いをしても
平然としていられるような人とそうでない人がいますよね。
そうでない人が悪いと言っているわけではないですよ。
ただただ、それに気づいて欲しいだけです。
それに気づくには頭だけではダメです。
古い過去の事も
たとえ記憶は忘れていても
体は覚えています。
頭の中では、あまりにも辛くて記憶を消去しようとしてしまっても
体は覚えています。
その証拠に
何か言われて嫌なとき
頭の中では
その相手が悪い、あいつさえ変われば( `ー´)ノ
そう考えていますが
その反応自体が
実は、体が覚えていることで
目の前で反応している事はダミーに過ぎないのです。
その目の前のダミーにいくら怒りをぶつけていても
ダミーなので
その人から離れても
次から次へとそのダミーとなる相手は存在します。
本来、人間は怒りという感情を持ち合わせて生まれてこないのですから。
怒りの根底にあるものは、寂しさです。
怒りこそダミーの感情なのです。
では、何で寂しいのでしょうか??
もっと知りたいあなたはこちらを試してみると良いですよ(^_-)-☆
だって人は、全く違うものを持ち合わせている人間ですもの。
気づけて回復したい方はこちらがお勧めです(*'▽')