本当にHSP(そ)のままでいいですか?
どうも楽々です(^^)/
コロナウイルスの影響下の中
楽々のカウンセリングルームでも
感染拡大を阻止するために
100%スカイプで対応しています(*^^)
楽々もかなりの過敏症者でしたが
同じように過敏な方、不安感の強い方がほとんどなので
スカイプには色んな面でお世話になりっぱなしです(_ _)
コロナウイルスの影響もあり
過敏な方は、より過敏になる環境が整っていることもあり
クライエントさんから、HSPの話をよくよくされます。
楽々が苦しんでいた末期の頃は、HSPという言葉が生まれたての頃でしたので
まさか、こんなに「私、HSPで辛いんですよ。」と会話の中で出てくるとは
思いもよりませんでしたね。
HSPというワードを出しても、専門家の方でも何じゃそりゃという感じでしたからね(*^。^*)
勿論ですが、当時の楽々も「まさしく私のことだ!」ぐらいに当てはまり、そう思い
HSPなので、HSPとしての生き方を模索していましたしね( `ー´)ノ
本当に、それぐれい
「救われた」感じ
がしましたからね。
本当に、HSPという概念に依存していました。
依存が悪い。依存を何とかしようという人達もいますが
依存自体は悪くないですからね(^^)
それがあったから、生き延びられた
そんなものがなかったら生き延びられなかった。
苦しくて苦しくて、何とかしたかった。
それぐらい依存物質に救われるという感覚があるのですから。
依存の二重構造でもお伝えしましたが
依存=悪い
だから、何とかそれを取り払おうという考え方は、本当に危険です。
依存症を専門とする方は、これらの事を熟知していますからね。
HSPという概念も同じです。
その概念があるからこそ、救われるという時期があるんです。
否定するものではないです。
ですが、それ自体を肯定するものでもないです。
HSPだから、こうなんだと説明されても
HSPだから、こういう生き方の方向へシフトしよう
そうやって、一時的にほっとする。
そう自分はそういう人だから、そう生きようとする。
それで、本当に苦しみがなくなれば良いのですが
また何処かで苦しさ、生きづらさが顔を見せる。
私は、その苦しみがたまらなく、その苦しみを何とか取れないか
結局、HSPという概念の中で生きられませんでした。
その葛藤があったからこそ、完治するやり方にたどり着けたので
後からすれば、その時期も必要だったのかもしれません。
ニコチンがあったから
アルコールがあったから
買い物があったから
異性がいたから
仕事があったから
病名があったから
テレビやゲームがあったから
そんな、依存する何かがあるから何とか誤魔化しながら生きてこれた。
私も、そんな何かに依存して
その時期を生きてこれた一人です。
今は、一部のクライエントさんの目から
偉そうなカウンセラーに見えるけれども
何かに依存してきたからこそ、生き延びれた
普通の人間です(*^。^*)
人が外に存在するだけで
恐怖心から緊張し、首や肩の神経が張ってしまい
人が視界に入るだけで
反射的に避けてしまい
苦手な生活音などで耐えられなくなり
色んなところが過敏で
人の表情ひとつで不快感や緊張感が高まり
人の表情が変わる度に何か伝わってくるように分かるように思い
人間関係がダメなので、仕事も出来なくなり
それがトラウマからの反射であるのに
HSPだからとし
その中で生きてきました。
トラウマ治療は、暴露と反芻で治療をすることが出来ます。
でも、そういう事に気づいていかないと
治療へ進めることが出来ないです。
そう反発したり、否定することこそがトラウマ反応のしわざなんですね。
ではでは(^^)/
気づけて回復したい方はこちらがお勧めです(*'▽')
腕利きのトラウマ治療者が作成した資料です(情報教材なので見た目怪しいですが